転職業界の歴史2(明治から戦後まで)

転職業界の歴史2(明治から戦後まで)

江戸時代の武家社会について調べてみましたが、江戸時代の一般庶民の転職事情はどうだったのでしょうか。

 

親の家業を継いでいくのが一般的

 

一般庶民は代々職業が決まっていてその職業を代々引き継いでいたので、転職ということはそれほどなかったようです。

 

特に商家や職人であれば親の職業を継ぐのは当たり前、とみなされていました。

 

家にはすでに仕事の道具があり、仕事は親に習い、親の地盤、お客を引き継ぐことができるからです。

 

ただし、子どもがいなくて養子をとったりして、養子に入った人は実の親と違う職業になった、ということはありました。

 

派遣の紹介をしてくれる口入れ屋

 

江戸には「口入れ屋」といって今で言う「派遣紹介」のような仕事が存在していました。

 

飯炊き、女中、工事の人足などです。

 

当時の日本の人口の7〜8割が農民であったと言われています。

 

農民はそれこそ世襲制で自分の田畑を耕して年貢を納めていくわけですが、中には豪農と呼ばれる成功した豊かな人達もおり、後に武家の御家人株を買って士分となり、後に旗本になった人たちもいます。

 

しかし大多数の農民は貧しい暮らしを強いられていました。

 

中には飢饉などで田畑を捨てて江戸のような大都市に流れていく人たちも多かったようです。

 

江戸時代中後期には貨幣経済が発達し、京都の呉服屋が江戸で店を開いたりして、人材の現地採用ということが行われました。

 

一人で始められる職業

 

江戸はコネ社会で、知り合いの商家の子弟が採用されました。

 

そしてよそ者は警戒されました。

 

そんな中で、生活苦で故郷を離れ、アテもなく江戸に流れてきた人たちはどんな仕事をしていたのでしょうか?

 

自分一人で始められる仕事もありました。

 

屋台、物売り、行商といった仕事です。

 

少ない元手で手軽に始めることができたのでこういった職業に従事する人が多くいました。

 

大きな唐辛子のハリボテを背負って真っ赤な衣装で唐辛子を売り歩く行商人が当時の記録にあります。

 

人目を引こうと必死だったことがわかりますね。

 

いわゆるニッチな業種というものも存在していて、一人者のためにふんどしを洗って届けるといったピンポイントなクリーニング屋さんや、耳かき屋さん、これはいかがわしい商売ではなくて中年の男性が真面目にやっていました。

 

大道芸人もたくさんいて奇抜な芸で人気を集めている芸人もいましたし、祭りが盛んだったので祭りに合わせて物売りをする人たち、テキ屋のような商売をする人たちもいました。

 

生計を立てていくので必死

 

このように見ていくと特に江戸ではたくさんの商売があり、その中で転職なども行われていたと思われますが、基本的には親の職業を継ぐものとされていました。

 

転職の理由というのは現在の「やりがいのある仕事を見つける」「キャリアアップ」といった理由よりも生計を立てる、ということが第一だったようです。

 

やはり社会保障のない時代だったのでみんな生きるのに必死だったことがわかりますね。

 

 

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